すっごく疲れている時にこそ、自分が本当にしたいことが見える!?

      2013/11/18


疲れた時に見えてくるもの

更新が久しぶりになってしまった。
新しいことを始めたり、人に会ったり、
慣れないことをするとエネルギーの消費が大きい。

帰宅して → 着替えたら → すぐゴハン食べて → そのまま風呂も入らず寝る

というような日がよくあった。

 

 

そんな日は家でどんな作業ができたか

私の中では、毎日行いたい「ルーチンワーク」というのが決まっている。
例えば「ラジオ体操」「ニュースサイトを見る」などだ。
どれも取るに足らないTASKかもしれないが、私の中では大切な作業。
まぁ正直、 儀式的なものも含まれる。

で、
新しいことを始めて慣れない生活を送る中では、
その全てを消化することはできなかった。
自然と、自分の中で優先事項ができてくる。

 

 

疲れていると自然体?

疲れていても、自分が行っていた作業はなにか?
例えばこのブログの更新は、真っ先にあきらめる対象となってしまった。

ブログの更新は、私にはまだ負荷の高い作業のようだ。
たぶん、
自分的エネルギー消費の少ない作業を無意識に選んでいたのだと思う。

「ダイの大冒険」でも、ダイの修練時にアバン先生が言っていた。
疲れていると、無理無駄の無い動きを自然にするのですよ。
・・・みたいな・・・ことを。
うろ覚え。
私の場合それは何だったのか?
「片付け」だった。

 

 

思い当たる理由は2つ

「片付け」という作業はどうだろう?
漠然とした問いかけになってしまうが・・・
私とは逆に「それこそ真っ先に断念する作業だ」という人もいるのではないだろうか?

自分でも何でかよく分からないのだが、
思い当たる理由が2つあったので書いてみる。

1:逃避行動
(本当はやらなきゃいけない大事なことがあるのに、他の行動に逃げてしまう)
(中学生が試験前になると急に部屋の掃除をしだすという不思議な現象)

2:片付けが「何か」へのトリガーになっている
(片付けという作業が自分のスイッチになっている)
(片付けた先に何かを見出しており、つまりは優先度を高く設定している)

 

 

もうちょっと考えてみる

先に上げた2つの理由。
「1」はあまりにも分かりやすすぎるし、関係している可能性が大ありなのでこの際スルー。
「2」に焦点をあててみたい。

何度かこのブログでも書いているが・・・
私は「片付け」が好きだ。

「人生がときめく片づけの魔法」で得た片づけの思考 | オレフィー
「人生がときめく片づけの魔法」で得た片づけの思考その2 | オレフィー

 

いまある物をジャンル別に整理 → 理想の定位置を決める → その通りに収める → 定位置のないものは処分

という作業は、自分を見つめなおし、自分の理想のゴールを修正して見定めることにつながり、
私は自己啓発作業のような意味を見出している。

つまり、
「片付け」は、理想の状態へと自分を近づける作業
と置き換えることができる。

こう考えてみると、
「疲れている時でも、ちょっとずつ理想に近づく為の作業をしていたんだなぁ〜」
とも解釈 できる。

 

 

まとめ

疲れている状態でもできること、やりたいことが「片付け」だったのは事実だ。
手を付けやすい容易な作業・・・というだけのことかもしれないが・・・
今回は「ちょっと面白いかも」と思い掘り下げてみた。

ちなみに私のいう「片付け」は部屋の配置などに始まり、
机の上の書類整理/名刺のスキャン&保管/PCのフォルダ整理/EvernoteとかDropboxの整理
既読本の自炊(スキャン)/iTunesに取り込んでCDの削減/未読メルマガの処理
・・・などなどだ。

いらない物を処分して、いる物への集中化、そして新しい仕組みづくりに終始している

私には「片付け」を完遂した先に、また新たなスタートが待っているのが見えている。
そこに早く辿り着きたいのかもしれない。

ただし、
どんなに疲れていても
目の前にある「やらなければいけないこと」からは逃げられない。
と、肝に銘じておこうと思う。

     

 

 

 -オレフィー

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